発信する自由がないということを、リアルに目の当たりにする

2010年09月19日

これからチラシの作成です。さくらです。

大人向けのアンチエイジングエステのチラシなので、ちょっと艶っぽくつくろうかな、と思案中。
そして、今日も高遠本フェスへ行ってきました。

どうしても、あの歴史的資料の本が気になり、行きました。
まだありました。

明治時代の教科書と、唱歌の本。
昭和18年の音楽教師向けの音楽の教科書。
昭和9年の国語の教科書、歴史の教科書です。

当時のことを、わたしたちは歴史として習ったものです。
歴史で習っとことが、この当時はリアルだったのか、と不思議な気持ちです。

国語の教科書に至っては、当時の小説家を私たちは国語としてならったので、当時の教科書には何がかいてあるのかというと、短歌や和歌でした。古文じゃん。

その中で、軍事を称えるであろう記述には、墨塗りがされていました。
リアルです。

いまでこそ、わたしたちは好きなことを発信し、知ることが出来ています。
当時は、知ることも存在することも、できなかったものがあるのですね。

さて、この本、どうしよう。
あのまま売れなかったら、処分されてしまう!と使命感に燃えて購入したはいいけど、どうしたものか。

保存方法を調べて、しかるべきところに保管してもらう予定でいます。

歴史が、わたしには大きすぎるようです。


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Posted by 桜庭由紀子 at 21:28│Comments(0)よもやまごと
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